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知多木綿の歴史
history about chita-cotton

知多木綿の歴史は古く、江戸時代初期・慶長年間(1596-1615)。生(き)白(じろ)木綿として生産され、伊勢や松坂で晒(さらし)加工が施された後、江戸に送られていました。

江戸中期・天明年間(1781-1789)に旧岡田村(現知多市)中嶋七右衛門らが晒技術を得て生産を開始。その美しい白さから江戸で評判となり『知多晒』として広く知られるようになります。
知多木綿の歴史

資料元:知多デジタルミュージアム デジタル写真館 〜知多の記憶〜

江戸の様子

木綿問屋が軒を連ねる日本橋大伝馬町。日本橋周辺は多くは京都や伊勢、松坂に本店を持つ呉服屋、木綿店が軒を連ねる江戸のファッション街でした。もともとは伝馬役の町人が始めた三河木綿の仲買から木綿問屋へと発展、この地を拠点に木綿問屋街に成長したそうです。

●『江戸名所図会 1巻』より「大伝馬町木綿店(おおでんまちょうもめんだな)」

斎藤長秋(さいとうちょうしゅう)編 長谷川雪旦(はせがわせったん)画 天保5〜7年(1834〜1836)刊 加賀文庫256
知多木綿の歴史
●東都大伝馬街繁栄之図(とうとおおてんまがいはんえいのず)

歌川広重(うたがわひろしげ)(初代)画 天保14年(1843)〜弘化4年(1847)刊 東京誌料 0421-C64
知多木綿の歴史
●白木屋(しろきや)

歌川国貞(うたがわくにさだ)(初代)画 天保年間(1830〜1844)刊 東京誌料 0421-C72
知多木綿の歴史

(3点)資料元:東京都立中央図書館特別文庫室所蔵

さらに明治になり、岡田で織機の研究をしていた豊田佐吉(現トヨタグループ創始者)が日本初の動力織機「豊田式汽力織機」を発明。ほどなくしてこの自動織機をいち早く認めた乙川村(現半田市)の石川藤八と共に「乙川綿布合資会社」を設立し、自動化と品質の高さで一躍有名産地となっていきました。

●乙川綿布

操業は明治31年。国産初の動力織機「豊田式木鉄混製力織機」が60台も並び、機械が大量の綿布を作り出す画期的な工場でした。織りムラがなく、人手をはるかに超える品質でした。
知多木綿の歴史

現在、織布工場も限られるようになりましたが、400余年連綿と続く知多木綿で培った技術とこだわりをそれぞれの工場で次の世代へと受け継いでいこうとしています。

「知多木綿kitchens」は地域の技を地域のクリエイティビティに活用しようと2019年に織元、知多半島料理研究家、デザイナー、編集人が集まりプロジェクトを発足しました。知多半島のものづくりを通して人と文化の交流の橋渡しを目指しています。

■知多木綿の主な産地※「知多木綿」はこの地の織の技術の総称です。
知多市、東浦町、阿久比町、半田市、常滑市、武豊町
知多織物工業協同組合https://chitaorimono.jimdofree.com/

■知多木綿関連見学施設
知多市歴史民俗博物館https://www.city.chita.lg.jp/docs/2013121600071/
有松鳴海絞り会館https://shibori-kaikan.com/
トヨタ産業技術記念館https://www.tcmit.org/